今回はH様のスラバヤ/ドリーの近況です。画像もH様から頂戴した今月のものです。
◎思い返せば
私がドリーを知ったのは十数年前、Gダイアリー「風俗開放戦線」猫巻師匠の記事。
当時の謳い文句が“東南アジア一の規模の赤線地帯“。
道を通れば、そこらじゅうのポン引きから「マスッ(お兄さん)」と呼び止められ、賑やかな様相だったらしい。
その記事を読んで、いてもたってもいられず、覚えたてのインドネシア語を磨き、いざドリーへ。
記事の通り一発80,000ルピア。「murah meriah(めっちゃ安い)」と思わず声が出てしまった。
当時、尾根遺産たちはスレていなく、チップも要求しない。
おまけに田舎から出てきたばっかしの純情な子もいて、やり終えて寝ているとギュッと抱き着いてくる。
◎一縷の望みを抱いて
あれから10数年、ドリーは閉鎖されたが、「もしかしたら復活しているかも!」と期待をしながら今回再訪。
いつもの定宿メトロホテルにチェックイン後、クドンドロのDUTAでマッサージ。夜9時になって、いざドリーに出発。
いよいよドリーに到着。前回の調査と変わらず道が暗い。
あの金魚鉢があった店は廃墟と化し、道を歩けばおやじたちがチェスやポーカーにふけっている。
更に路地裏に進むと、遠くからむなしくダンドゥットのリズムが聞こえてくる。
◎遊べなくはないけれど
道端に座っているおやじたちから、ひっきりなしに女遊びのお誘いがあるが、値段を聞いてビックリ!の35万ルピア。
道端に座っているのを見ると合格点には程遠い。警察への袖の下が入った値段なんだろう。
◎声をかけてきたのは
そうこうしているうちに元メインストリートに。今までになかった公園が建設されていた。
その傍でたむろしていたchew学生くらいの女の子が突然声をかけてきた。まさか!!!
「おじさん、写真撮って!」
ポーズをとっていたので思わずカシャリ。
ということで、今回も復活ならず残念。ドリー壊滅後も細々と続けていた深夜営業のカリマンタンも閉じていた。ここはもう何もない。
昔は、歩けばタクシーやオジェの運転手が声をかけてきたものだが、今は皆無。歩いてメトロホテルまで帰ることに・・・。
アメリカやカナダなど先進国は風俗を開放しつつある中、アジアでは逆風が!昔のよき文化の復活を望むばかりである。
◎管理人から補足
>ここはもう何もない
この短い文に、H様の無念が凝縮されているように感じました。
>先進国は風俗を開放しつつある中
そうなんですよね。前にも書きましたが、飾り窓で有名なオランダのアムステルダムでは、同地域に売春ミュージアムを作って公開しています。スイスでは市が管理する売春宿があります。
つまり、行政が「認めて」いるわけですよね。
アジアで、風向きが変わるのはいつ?