アジアの尾根遺産【インドネシア分室】

ブログ「アジアの尾根遺産」のなかから、インドネシア関連記事だけを移転させました。ただしバリ島とジャカルタは除きます。

Category: スラバヤ

バンコクを後にされたH様はその後、バリ島⇒スラバヤ⇒ジャカルタと行脚されました。ジャカルタでは何と、あの線路脇置屋群(画像)にもトライされたそうです。

◎バリ島・スラバヤにかつての姿は

バンコクではヤワラートの立ちんぼに名残を残し、次にいよいよ自分の第二のホームグラウンド(もちろん第一は日本)であるインドネシアに入国。


まずはバリ島のJl. danau poso辺りの番号置屋を周る。8万ルピアでバイクを借り出発。


20年前は本当に多くの番号置屋やホテルがあり、値段も10万ルピアを下回る安さ。ところが、今や最低でも25万ルピア。


ウオーっと思うcantik(カワイイ)なcewek(尾根遺産)もいなくなった。


次に行ったスラバヤも、ドリーが無くなった今、魅力がなくなった。ここはジャカルタに賭けるしかない。
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◎コタインダーの変化

ジャカルタに到着、真っ先に行ったコタインダーのディスコ置屋群。

レベルが高すぎる。Cantik、Ramping(スリム)、Muda(若い)三拍子揃ったcewekが何人も・・・。


そこで遊んだ18歳のバンドゥン出身のcewekに聞くと、「インドネシア人は細身でスラっとした長身の私みたいな子よりも、オッパイの大きいmontok(ふっくら)な子を好んで、私みたいな子は日本人しか遊んでくれないの」と言うではないか。なんともったいない!


更に聞くと、「ここはsepi(寂しい)なので他に移るのよ」ということである。今考えると電話番号くらい聞いとけばよかった。


ただ、ここもインフレが進んで、38万ルピア。

 

◎H様からの補足情報

コタインダー全店、今まで金魚鉢だったのがカウンターになっていて、近くでじっくり品定めができるようになっていました。


「Biskah berciuman?」(キスできますか?)とか「Kamu beragama apa?」(あなたの宗教は?)など会話ができるので、ハズレにあたりにくいです。


*イスラムだと女の子はクリトリス(intil)を切り取られて感じにくく、すぐgeliとか言う。

◎スラバヤのローカル用風俗は

H様に「オトコの夜遊びガイド:スラバヤ編」で推奨してきたエリアの様子を伺いました。


一店舗に5,6人、25万ルピアでした。

レベルは、30代でmontokの子が多く、キスやクンニOKの子が多くサービスもよかったです。


補足しますと、スラバヤのこの商業区画には、☆番オプションが標準のマッサージ置屋が複数軒あります。


しっかりマッサージもしてくれたうえで、シャワーもあって、トータルで25万ですから、ジャカルタの置屋長屋並か、それ以上のコスパなんですね。

今回はH様のスラバヤ/ドリーの近況です。画像もH様から頂戴した今月のものです。

 

◎思い返せば

私がドリーを知ったのは十数年前、Gダイアリー「風俗開放戦線」猫巻師匠の記事。

当時の謳い文句が“東南アジア一の規模の赤線地帯“。


道を通れば、そこらじゅうのポン引きから「マスッ(お兄さん)」と呼び止められ、賑やかな様相だったらしい。

その記事を読んで、いてもたってもいられず、覚えたてのインドネシア語を磨き、いざドリーへ。

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記事の通り一発80,000ルピア。「murah meriah(めっちゃ安い)」と思わず声が出てしまった。


当時、尾根遺産たちはスレていなく、チップも要求しない。

おまけに田舎から出てきたばっかしの純情な子もいて、やり終えて寝ているとギュッと抱き着いてくる。

 

◎一縷の望みを抱いて

あれから10数年、ドリーは閉鎖されたが、「もしかしたら復活しているかも!」と期待をしながら今回再訪。


いつもの定宿メトロホテルにチェックイン後、クドンドロのDUTAでマッサージ。夜9時になって、いざドリーに出発。

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いよいよドリーに到着。前回の調査と変わらず道が暗い。

あの金魚鉢があった店は廃墟と化し、道を歩けばおやじたちがチェスやポーカーにふけっている。


更に路地裏に進むと、遠くからむなしくダンドゥットのリズムが聞こえてくる。

 

◎遊べなくはないけれど

道端に座っているおやじたちから、ひっきりなしに女遊びのお誘いがあるが、値段を聞いてビックリ!の35万ルピア。


道端に座っているのを見ると合格点には程遠い。警察への袖の下が入った値段なんだろう。

 

◎声をかけてきたのは

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そうこうしているうちに元メインストリートに。今までになかった公園が建設されていた。

その傍でたむろしていたchew学生くらいの女の子が突然声をかけてきた。まさか!!!

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「おじさん、写真撮って!」

ポーズをとっていたので思わずカシャリ。


ということで、今回も復活ならず残念。ドリー壊滅後も細々と続けていた深夜営業のカリマンタンも閉じていた。ここはもう何もない。


昔は、歩けばタクシーやオジェの運転手が声をかけてきたものだが、今は皆無。歩いてメトロホテルまで帰ることに・・・。

アメリカやカナダなど先進国は風俗を開放しつつある中、アジアでは逆風が!昔のよき文化の復活を望むばかりである。

 

◎管理人から補足

>ここはもう何もない


この短い文に、H様の無念が凝縮されているように感じました。


>先進国は風俗を開放しつつある中


そうなんですよね。前にも書きましたが、飾り窓で有名なオランダのアムステルダムでは、同地域に売春ミュージアムを作って公開しています。スイスでは市が管理する売春宿があります。


つまり、行政が「認めて」いるわけですよね。

アジアで、風向きが変わるのはいつ?

私見を申し上げますと、少なくともまだこれから数年は、インドネシア風俗においては全体的に【逆風】が続くと考えております。


その【発生源】は、ドリーを筆頭とする置屋街を軒並み閉鎖に追い込んでしまった、スラバヤの女性市長トリ・ リスマハリニ氏。


今年のバレンタインにも、その【堅物ぶり】を遺憾なく?発揮したのは既報のとおりです。


フォーチュン誌が毎年選定する「世界のもっとも偉大なリーダー50名」の2015版にも選ばれてしまいました。


この影響で、他の街でも首長が同様の動きに出る可能性があるかと。


マカッサルがそうなのか、は存じませんが、政治家は票になりそうな【匂い】に敏感ですからね。


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一方で、西欧に目を向けてみますと、飾り窓(画像)で有名なアムステルダムでは、売春婦も立派な【職業】である、ということでソッチ系の博物館ができたそうです。


スイスでは市が主導して、道待娘に仕事場を提供する【ドライブスルー置屋】が登場しましたね。


風俗を取り締まるのではなく、必要な存在として認め、アングラ化しないように行政が監理する。


こういう方向性がアジアまで波及してくるのは、まだまだ当分先になるでしょうから、冒頭で「少なくともまだこれから数年は」と書いた次第です。


≪だるまわんさ様のコメント≫

逆風ではなく追い風では?


インドネシアの風俗自体は大きくは変わらないでしょう。ただし古くから残されてきた、いわゆる置屋の密集地帯(lokarisasi)のようなものはどんどん減ると思います。

衛生的にもそうですが、それがあっても良い結果を生まないのでそこについては消え行く運命でしょうが、性風俗店は消えずにこれからも増えるでしょうし、またそれ以外にも法に縛られない自由な営業も確実に増えているので、劣悪な環境や様々な危険をはらみながら遊ぶよりは、むしろ我々にとっても喜ばしい事ではないかと思います。

ある意味、インドネシアも普通の国になりつつあるのですよ。

前回に続き、スラバヤ遠征時のこと。

新規開拓で訪れた、某SPA。入ってすぐの受付では番号札をもらうだけ。
2階の、飲食可能な「ラウンジ」のカウンターで、コースを選びます。

3Pコースが“ウリ”のようなので、試してみることに。

VIPルーム使用で、2名つけて90分のマッサージ+部屋代が475,000Rp。

*受付嬢は英語OKで、好みのタイプを要望可能です。


5分ほど待たされて案内された部屋の前には、すでに2名が立っていました。

27歳のマラン出身娘と30歳のスマトラ出身娘。ともにレベルは並の上。


私だけが全裸になってマッサージの開始。1名は施術技術もなかなか。
約1時間ほどして、オプションのお誘いが。

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言い値は各1juta(百万Rp)と法外でしたが、マハル!(高い)とゴネたらすぐに各60万に下がりました。


それでもやっぱり、SPAは高い!
ドリーが消滅したって、他所なら25万で可能な置屋もあるのに。


ちなみに手コキだけなら?と交渉しましたが、脱ぎ+手コキで各40万、バスト・タッチ有りの手コキは各50万だと。

エッチ代金と僅か@10万の差しかありません。

価格のバランスがとれていないのは、本番がデフォルトだからでしょう。


翌日、総額25万のお店で、勤務3日目だという26歳とプレイ。

こちらの尾根遺産が、お顔もスタイルもスキルもマッチ・ベターで、多額の出費になったSPAへの入店をひどく後悔しました。

半年ぶりのスラバヤ


H様から頂戴しましたレポートはすでに紹介済みですが、自分の目でドリーの現状を確認に赴きました。


一般商店は営業しているので、人通りも絶えてはいませんが、以前の活気は失せて、見かけは「普通の街」です。


かつて置屋が集中していたジャラン・ドリーに折れるあたり、減速したタクシーに3名のポン引きが駆け寄ってきて、窓を叩きます。

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それを無視してジャラン・ドリーの途中まで進みますが、そこでもすぐさま、別のポン引きがニタニタしながらタクシーの窓を叩いてきます。


別の仕事に就くよりも、モグリを続けたい。

ポン引きにも尾根遺産にも、まだいるんですね。


車内から素早くジャラン・ドリーを前後撮影して、すぐ発進させました。
敢えてこの状況下、遊ぼうとは思わないので。


彼らポン引きもお客が減って、苦しいでしょうから、商売が強引になっているものと推察します。


どこかに隠れて待機しているであろう尾根遺産たちだって、どんなレベルやら・・・・期待するほうがおかしいでしょう?

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「旦那、次はどこへ?」「デルタ・プラザだ」


プラザ・スラバヤ (デルタ・プラザ) の周囲に道待娘が出没する、という英語情報があったので。


もしかすると 、ドリーでかつて働いていた尾根遺産の一部が、道待娘になっている可能性もあるかなぁ~ と考えた次第。


22時過ぎの到着で、プラザの店舗はすでに営業終了。
迎えを待っているのであろう、仕事を終えた人々がたむろしています。

道端には帰宅者狙いのタクシーが連なり、誰かを待つ無数のバイクの車列が続きます。


ひとりポツンと座っている女性も数名いましたが、こちらを一瞥もしないのは、「お迎え待ち」の一般人だからでしょう。


こりゃあダメだ、無駄足だったか。

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