アジアの尾根遺産【インドネシア分室】

ブログ「アジアの尾根遺産」のなかから、インドネシア関連記事だけを移転させました。ただしバリ島とジャカルタは除きます。

今回はジョグジャカルタの置屋での、私自身のエピソード。もう1年近く前の話になったので、そろそろブログに書いてもいいかな、と。

◎望外の“当たり”

ジョグジャカルタを再訪したその日の晩。スラゲン遠征を翌日に予定していたので、タクシーに聞き込みしたのは過去記事のとおり。


かつて訪れたジョグジャカルタの置屋を再訪しようと、そのタクシーのなかの1台に向かわせました。歴代屈指の名器だった彼女に再会できれば、と。しかし、再会は叶わず。


「他に知っている置屋は?」

タクシーが向かった先にあったのは、見るからに民家。しかしもう、営業はしていないと。


「ダンナ、もう1ケ所ありますから」と運転手。

着いたのは某ルコの一角で、マッサージ店に偽装した置屋でした。


店先にいたのは、見た印象で20歳前後の美形女子大生。ジョグジャカルタは「学生の街」でもあるので、店番かな?と。


ところが、なんとその彼女が置屋嬢だと言うじゃありませんか!

運転手が私に目配せします。「コイツをゲットしろ、上物だ!」と。


たしかにジャカルタのトラベルやクラシックにいても、日本人客が列をなしそうなほどの可愛さです。

 

◎ブロガー魂?の発揮

彼女の言い値は50万Rp。ジョグジャカルタの置屋としては適正相場です。その標準価格で、こんな若くてキレイな尾根遺産とデキるの?


そのとき、ふと思いついたのです。ブロガーの習性なんでしょうね。


自分のホテルにテイクアウトするのが普通ですが、ここはマッサージ店に偽装している置屋。だったらプレイルームがあるのでは?その室内がどうなっているのか、記事としてはその方が面白いかな、と。


「往復する時間、もったいないでしょ?此処で出来る?」と訊いてみたらOKだと。

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◎ルックスは抜群だけど

通されたのは画像の部屋。マッサージの施術部屋というより、むしろ女子大生の下宿部屋という印象。


だって普通のベッドだし、カバーの柄はご覧のとおりだし。棚は子供向けアニメのキャラ。それにエアコンも扇風機もない部屋でしたから、ここで施術はあり得ないでしょう。

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案の定、素性を探ってみたら、地元の大学に最近まで通っていたという尾根遺産。自称20歳。この仕事はまだ、始めて1ケ月だと。

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水回りもご覧の有り様。マッサージ店に住み込みしている女子大生の部屋にお邪魔している気分に。ここでひとり、身体を清めます。


シャワーを終えた彼女のバスタオルをそっと剥がすと、可憐なお顔にふさわしいBカップが現れました。揉み甲斐はありませんが、チロチロと舌で刺激してみます。


しかし彼女は全くの無反応マグロ!(涙


しかも携帯で音楽を流していたばかりか、文字通りひっきりなしのメッセージ着信音?で集中できません。


プレイとしては完全にハズレでした。それでもFINISHでき、満足感もあったのは、彼女がそれだけ「ルックスは上玉」だったからです。


あれから1年近くなので、もうあの置屋では働いていない可能性が高いと思います。だって、あれだけの美人なんだから、就職先は他にいくらでもあるでしょう。

今回はH様のスラバヤ/ドリーの近況です。画像もH様から頂戴した今月のものです。

 

◎思い返せば

私がドリーを知ったのは十数年前、Gダイアリー「風俗開放戦線」猫巻師匠の記事。

当時の謳い文句が“東南アジア一の規模の赤線地帯“。


道を通れば、そこらじゅうのポン引きから「マスッ(お兄さん)」と呼び止められ、賑やかな様相だったらしい。

その記事を読んで、いてもたってもいられず、覚えたてのインドネシア語を磨き、いざドリーへ。

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記事の通り一発80,000ルピア。「murah meriah(めっちゃ安い)」と思わず声が出てしまった。


当時、尾根遺産たちはスレていなく、チップも要求しない。

おまけに田舎から出てきたばっかしの純情な子もいて、やり終えて寝ているとギュッと抱き着いてくる。

 

◎一縷の望みを抱いて

あれから10数年、ドリーは閉鎖されたが、「もしかしたら復活しているかも!」と期待をしながら今回再訪。


いつもの定宿メトロホテルにチェックイン後、クドンドロのDUTAでマッサージ。夜9時になって、いざドリーに出発。

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いよいよドリーに到着。前回の調査と変わらず道が暗い。

あの金魚鉢があった店は廃墟と化し、道を歩けばおやじたちがチェスやポーカーにふけっている。


更に路地裏に進むと、遠くからむなしくダンドゥットのリズムが聞こえてくる。

 

◎遊べなくはないけれど

道端に座っているおやじたちから、ひっきりなしに女遊びのお誘いがあるが、値段を聞いてビックリ!の35万ルピア。


道端に座っているのを見ると合格点には程遠い。警察への袖の下が入った値段なんだろう。

 

◎声をかけてきたのは

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そうこうしているうちに元メインストリートに。今までになかった公園が建設されていた。

その傍でたむろしていたchew学生くらいの女の子が突然声をかけてきた。まさか!!!

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「おじさん、写真撮って!」

ポーズをとっていたので思わずカシャリ。


ということで、今回も復活ならず残念。ドリー壊滅後も細々と続けていた深夜営業のカリマンタンも閉じていた。ここはもう何もない。


昔は、歩けばタクシーやオジェの運転手が声をかけてきたものだが、今は皆無。歩いてメトロホテルまで帰ることに・・・。

アメリカやカナダなど先進国は風俗を開放しつつある中、アジアでは逆風が!昔のよき文化の復活を望むばかりである。

 

◎管理人から補足

>ここはもう何もない


この短い文に、H様の無念が凝縮されているように感じました。


>先進国は風俗を開放しつつある中


そうなんですよね。前にも書きましたが、飾り窓で有名なオランダのアムステルダムでは、同地域に売春ミュージアムを作って公開しています。スイスでは市が管理する売春宿があります。


つまり、行政が「認めて」いるわけですよね。

アジアで、風向きが変わるのはいつ?

◎スラゲンまでの道中

運転手も私もスモーカーということで、1時間おきくらいにタバコ休憩をしながら車はひたすらスラゲンを目指します。

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ようやく案内標識にその文字が出てきたのは、出発からすでに3時間半ほど経過した頃。いい加減、田舎道のドライブに飽きてました。


ジョグジャカルタ
から2,3時間 というのはインドネシア流のサバ読み?だったようで。

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◎スラゲンの街は

「このあたりがスラゲンの中心部ですよ」


運転手が私にそう告げたのは、昼12時過ぎ。すでに出発から4時間以上経過しています。確かにそこには町役場?みたいな建物や大きなロータリーがありました。

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画像の道路がメイン・ストリートのよう。整備されたキレイな地方都市という印象で、置屋が多数ある(あった?)街とはとても思えません。


とりあえずこの道路(Jl. Raya Sokowati)沿いでランチを取りました。

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◎聞き込みした結果

食後の一服をしながら、運転手と一緒に駐車場係員にヒアリングを敢行。


「・・・・・という伝説、知ってる?」

「はい、経験はありませんが知ってます。」

「グヌン・クムクスのその場所まで、ここからどれくらいかかる?」

「そうですねぇ・・・2時間以上かかりますね。」

んげっっ!!


インドネシア流の2時間は、実質3時間以上か?

すでにこの時点で13時を回っています。運転手が「無理っす」という顔で私を見ます。


「じゃあ、途中まで1時間くらい行けば、グヌン・クムクスの写真は撮れるかな?」

「いえ、グヌン・クムクスは丘みたいなもので、遠くから写真は撮れませんね」

ガッ、ビ~~~ン!


インドネシア情報局さんの記事で、麓だか中腹だかに、みたいに書かれてたので私はスラバヤの南、トレテスを連想していました。


トレテスはまさに、山の麓というか中腹にある、置屋街で知られた街です。


どう考えても、ジョグジャカルタに夕方までに戻るのは無理だし、もし仮にあと2,3時間かけてグヌン・クムクスに着いても「その場所」に辿りつける保証はありません。


「この街には他に、置屋とかないの?」

「ん・・・ないですねぇ」

「カラオケとかもないの?」

「カラオケならすぐこの先に1軒ありますよ」


行ってみたそのカラオケ、看板に大きくFAMILY の文字が。こりゃ、ダメだ。。。


という次第で、スラゲンにまつわる伝説の探査は情けない結果に終わりました。

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